まえおき
森の長城プロジェクト
植樹
仙台の街
潜在性自然植生
鎮守の森
稲荷様の杜
街の緑化
おまけ
PCがクラッシュして15年近く使っていたHPビルダーが使えなくなってしまいました。 手書きでサイトを書いてみたのだけど、IEの設定がよくわからず、画面の拡大サイズ設定できてないです。 なので、ブラウザーはクローム、ファイヤーフォクス等で開いてみてください。
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●森の長城プロジェクト
麦わら帽の宮脇先生と自民党の小泉進次郎さん 「森の長城プロジェクト」とは、東日本大震災の津波に対して、松だけの単植の防潮林やコンクリートの防波堤では防ぎきれなかったことをふまえて、日本本来の植生の常緑広葉樹林の防潮林を東北の海岸線一帯に築こうという試みです。 植物生態学者の宮脇先生の提唱のもと、細川元首相が理事長に就かれて、2013年度からポット苗の植林が進められています。 土地本来の樹木は、環境の変化や病害虫に強く、また常緑広葉樹林は深根性で根が地中深く入るため、 問題となった震災瓦礫も燃やさずに防潮林のマウンドのベースとして活用すれば、常緑広葉樹の根が瓦礫を抱え込むことで、強い防潮林がつくられるということです。 詳しくは、こちらのサイトにあります。⇒ http://greatforestwall.com/ 僕も少しだけ参加させてもらいました。
●津波後
仙台空港沖の津波あとと鎮魂碑 鐘の設置されている高さまで津波が押し寄せてきたそうです。 自然の脅威の前で人間は無力だと実感してしまう。 鎮魂碑の向こうに見える土手に植林活動が行われています。 ↓
●森の防潮堤
左が植林直後の写真、右側が2年前に植林された樹木です。20年で、20〜25Mに成長するそう。土手を含めて30Mの森の防潮堤となるそうです。
●仙台の街
植樹の後、仙台の街を歩いてみました。仙台は、しっとりとした大きな街でした。街には大きなケヤキの街路樹が並んでいます。 右は、青葉城恋歌にでてくる広瀬川。
●潜在性自然植生とは
明治神宮の森 宮脇先生の活動のベースには潜在自然植生に基づいた土地本来の樹木を植林するという考えがあります。 野生動物の世界も人間の社会も、厳しい生存競争があります。 しかし植物の世界でも厳しい生存競争があり、土地によって主木となる樹木は決まっているのだそうです。 それが潜在自然植生です。 潜在自然植生の森は、主木となる高木層とそれを支える亜高木層、低木層と多層群落を形成した多様性の森です。 里山の雑木林も、多様な生物が共存する多様自然性の森といえますが、人の手が入らないと森の中に蔓などが入り込み荒れてしまいます。 蔓植物は、本来は周辺部で森が乾燥するのを防いでいるのですが、里山などの二次林に人の手が入いらないと下克上だと森の中に侵入してくるのだそうです。これは本来の森に遷移する途上の状態で、代用自然植生と呼ばれるとのことです。 また、土地本来の森が過放牧等の人的影響で、高木、亜高木層が欠け、画一的な草化状態の植生となってしまうことは、退行遷移と呼ばれ、これは、そこに生息する動植物集団にとって非常に危険な状態だということです。 人間社会でも思い当たる話だと思ったのですが、植物の方が生物としてはベースであり、人間社会も動物の世界もその同相とのことです。
●鎮守の森
古代より文明は、その土地の森を伐採、破壊し、森の消滅と共に、その文明も消滅してきたといわれています。 森が生み出す生態系の消費者である人間が、森が消滅した後に、大量消費の文明を維持できる訳が無いから。 実際に宮脇先生の調査でも日本で森は残っているが、その土地本来の自然林は、ほとんど残っていなかったそうです。 しかし、限定的ではあるが、その土地本来の自然林がのこされている場所があった。 それが鎮守の森です。 植林調査で、山地に入り常緑広葉樹の自然林を求めたが、里山はアカマツの疎林、コナラ林などの二次林ばかりで、 常緑広葉樹林は見つからなかった。疲れた足を引きずりながら引き返し、小さな漁村にたどり着いたところ、 あれほど探した広い奥山に見つからなった常緑広葉樹林が漁村の中央部にこんもりと茂っていた。 さっそくみんなで植生調査してみると、今まで探し求めた自然林で、中には小さな神社が祀ってあった。 日本人が拠り所とした郷土の森は、生活域から離れた奥山ではなく、住民の生活の中に、鎮守の森として守り、残し、育てられていた。 ※「魂の森をゆけ 3000万本の木を植えた男の物語」より 日本人は、森を切り、集落や田畑をつくりながらも、「ふるさとの木によるふるさとの森」を必ず残し、守りつくってきた。 それが、ふるさとの森と共生してきた日本人の知恵だと指摘されています。 日本伝統の、鎮守の森をモデルとして、宮脇先生の緑化活動は世界各地に及び、人間によって砂漠化された土地に、その土地本来の潜在性自然植生の樹木を探し出し植林を行われています。 世界の植物学会でも、鎮守の森は安易に翻訳できる言葉ではないとして、tinzyunomoriが公用語として使われているそうです。
●稲荷様の杜
都内において稲荷様も鎮守の森といえると思います。 周りには常緑広葉樹の樹木が残されていて、その中に小さな祠が大切に祀ってあります(上の写真の稲荷様は大きな社ですが) もともと狩猟採集時代からの豊饒を願う聖域、場所だったのだろうと勝手に思っているのだけど、 場所的にも人気の私鉄沿線上に多く点在していて、武蔵野の湿地を横切っていく古代の杣道だったのかなという感じです。
●街の緑化
東京の街のあちこち、建物の中にも植樹されているのを目にします。 街の狭いスペースでも、土地本来の樹木を植えることで防災対策になり、人々に潤いと憩いを提供しています。 現代の鎮守の杜ですね。
恵比寿様の杜から程近く、今の住居。更新時期になると、つい引越ししてしまう。 華やかな街並みですが、俺の住居は古いアパートの屋根裏部屋といったところ。 さっそくベランダでもタブの木を育てています。目下、ここが僕の鎮守の庭です。