2〜3年前から広島で仕事を請けていたのだけど、リーマンショック以降、仕事が少なくなって
もちろん岡山でも少ないですから、どうしようかと考えていたのだけど、
たまたま東京での仕事の案件を紹介して頂き、まあ一度行ってみようと、
下見もする時間もなかったので、地図を見ながら色々考えて
不動産屋に電話してアパートを決めました。

東京に来て見ると、地方ではシャッター街になってしまっている様な
昔からの商店街が賑わっていて、首都の豊かさを感じます。

最初に受けた仕事は、生活保護等レセプト管理システムの出荷業務。
各自治体にPCとサーバーをセッテングして送る業務の出荷管理なのですが、
東北、北陸の大震災があり、地震後、東北の自治体に送ることも出来なくなってしまった。

地震の揺れ始めは、それほどでもくて、東京は地震が多いからな位に思っていたのだけど
揺れがおさまらず、どんどん激しくなり、
このままだと建物が潰れるんじゃないかというぐらいでした。
なんとか揺れも収まり、非常出口から出ると、外は避難した人でごった返していて
救急車が、けたたましく行きかっていた。
作業を中断して解散となり、駅に向かったが電車も不通のため
バス停に向かうと本当に長蛇の列。結局3時間待つことに。

バスを待っている間、見ず知らずの人同士が、列から抜けてトイレに行く人のために
場所取りをしてあげたり、寒くないか、お互いに気使い合って
他人に無関心な大都会で、急に共同体意識ができていたのです。
満員のバスの中でも席に座られていたおじいさんが、
僕のPCの入った重いカバンを持って下さいました。

でもその中で、変によそよそしいグループがあったのですよ。
この人達って・・何(笑)

その後、原発が予断をゆるさない状況が続き、水道水から放射能も検出されました。
乳児に飲ませないようにと報道もされていて、

被災された東北の方は本当に大変だし、原発の問題も深刻そうだ。

チェルノブイリの原発事故をうけ、当時のソ連の書記長だったゴルバチョフは
原発事故を国家の敗北と受け止めて、ペレストロイカの政策を押し進めていかれたそうです。
結局、ソ連は解体してしまうのだけれど、、

日本もこれまでの様に、なし崩し的な原発推進政策はできなくなるのだろう。
情報公開とエネルギー政策について、明確な姿勢を内外に示してほしい。