「無縁、公界、楽」 日本中世の自由と平和 網野善彦
「僕の叔父さん 網野善彦」 中沢新一
お金ってなんだろ、、稼ぐのも、遣うのもなかなか難しいですが、
この本では、貨幣が流通しはじめた、中世の社会について、そして「無縁」といわれた原理について
膨大な資料から掘り起こしています。
市の成立
モノとモノが相互に交換されるためには、特定の場が必要であり、そこにはいると、
モノも人も世俗の縁から切れてしまう。「無縁」の場として市場は成立した。
そして中世になり、貨幣が社会に流通しはじめると、「無縁」 「公界」 「楽」という言葉でその性格を
規定されるような職人達の町、自治都市がうまれてきます。代表的なものは、堺、博多などの自治都市です。
「無縁」 「公界」 「楽」という言葉でその性格を規定された場、あるいは人(集団)の根本的な特質は、
主従関係、親族関係等々の世俗の縁から切れていて、「敵、味方の沙汰に及ばぬ」、平和領域となっていた。
俗権力は介入できず。自由な通行が保障され、私的隷属や貸し借り関係から自由。これが、無縁、公界の原理だった。
そこでは共通して、老若という年齢階梯的な秩序の組織による自治がみられ、
身分家柄を問わず、原則的には、皆平等となり、自由に商売を営むことができた。
ここで、著者は、貨幣によって無縁の平等な場がつくられ、人間関係が調整されていると指摘しています。
各地の自治都市を自由を求めて職能民達は遍歴した。もちろん現実は厳しく、世俗の縁が切れた自由な境涯であるということは、
野垂れ死にと背中合わせの現実であった。
そして 「僕の叔父さん 網野善彦」では、叔父の網野さんとの語らいが書かれています。
無縁な人間達を集めて、権力によらない自由な関係だけでつくられた社会をつくることは、
可能なのさ。君はその様な実例を知らないかい?
甥の中沢新一さんは、自分が研究していた八重山群島のアカマタクロマタ祭祀について語られる。
年に一回、海の彼方からアカマタクロマタという神様がやってくる日が近くと、村の人間関係は変わってゆき
年齢階梯性のアカマタクロマタという集団をつくり、身を清めて、ニライカナイからやってくる仮面の神を迎える。
そのアカマタクロマタの組織と、中世の自治都市にみられた老若という組織のつくりが、とても似ているといいます。
そして、それぞれの組織の働きを象徴しているのが、仮面の神であり貨幣なのだ。と
貨幣は商品の所有者と商品との縁を切り無縁となった商品を市場に促す。
そして貨幣量の多い少ないという年齢階梯性にもにた数量階梯制で、商品のいききする秩序を打ちたてている。
仮面の神も貨幣も、その本質は人々の自由を求める心の構造から生み出されている。
「アフリカの日々」